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コミュ障でもいいじゃん!コミュニケーション下手な人の対人関係渡世術

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これはコミュ障な私がうん十年かけて実践、理解できるようになった、コミュニケーション下手がうまーく世の中を渡れるようになるための渡世術である

 

コミュニケーション上手な人とか、自然にそれが出来ちゃう天性の才能がある人(私はコミュ障なのでコミュニケーション上手、人間関係円滑な人は才能だと思っている)にとったら至極当たり前で普通のことかもしれない

 

しかし私のような人間関係の構築がドヘタで、コミュニケーション下手なヤツにとったら、人間関係の何故?何?どうして?なんで?わからない…と悩んでいたことが、ああ!そういう事か、そうだったのか、そうすればいいのかという気付きや、きっかけになると思う

 

 

コミュ障の原因

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私は今まで人に流されたり、合わせたり、従ったり、人のご機嫌ばかりうかがってきた人生だった

何故?

①人に嫌われたくないから
②自分の意見や意思が通らないから
③人に合わせたほうが楽だから

何で?

①過去にいじめられた経験があり、人に嫌われるのが怖いから

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いじめや人に裏切られるなど人間関係の亀裂を経験すると、もうあんな思いはいやだ、と人に嫌われたくないという気持ちになっていくもの

また、いい子の自分でいないと嫌われてしまうんじゃないか、愛想をつかされてしまうんじゃないかという恐怖もあった

 

 

②養われている環境だから

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特に親子の関係性で強く感じていた事なのだが、もうこれは子供の力ではどうしょうもない事案だった。結局親の庇護のもとで生きているからだ。ある程度言い合いや、話し合い、意見や意思などを伝えたり実行に移すことは勿論できるだろうが、根本的な部分で子供の時代は確固たる意志や意見があっても、一定の年齢になるまでそれを完全に実行に移す事、または自立が難しい。その結果、意思や意見が通らないなら親に従わざる負えないとなる

 

 

③嫌われたり、非難される心配が少なく、めんどくさがりで無責任だから

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これは他人に合わせたり従ったりしていた方が、他人の意見や意思を尊重、優先しているので嫌われたり非難される心配が少ないため。また、意見の相違があった時に争いやもめ事が嫌だというのもある。後は単純に自分の中で希望(意思)や興味がなく、決めるのや考えるのがめんどくさい時もある。でも一番は何かがあった時に自分が責任を取りたくない負いたくないという気持ちが強いからである

 

この中で割合を含めるのは圧倒的に①、②で、①、②を根本として、(人のご機嫌ばかりを伺う)③に着地する(流される、合わせる、従う)という感覚である

 

そのように、親への根本的に逆らえない抑圧に慣れてしまった事、社会(この場合家庭の外、学校など)に出ても、いじめ、裏切りなどを経験し、それがいつまでもトラウマになっている事

 

人のご機嫌を伺って生きる事
人に従って生きていく事
人に流されて(人の言う事を、自分では何も考えずに言う事を聞いて)生きていく事
人に合わせて生きていく事

 

が私の中で常態化していった

 

 

その結果

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それが原因で嫌われる経験、裏切られる経験というのをする

何故?

自分の意志、意見がない
人に合わせたり、従ってばかりなところが嫌い

何で?

人のご機嫌取りにはなってはいけない
自分の意志や考えをもっと人に言った方がいい

 

が、そういわれても尚私は

 

なんでそれが嫌なの?嫌いなの?人に合わせてくれる人って自分の言う事聞いてくれるし、従ってくれるし楽じゃないの?


と…、言われたその意味、というか真意が分からなかった為、自分の意思を人に委ねて合わせて従って行った

 

その結果、最終的に…

 

マインドコントロール、洗脳される

マインドコントロール、洗脳される事によって、そこから覚めた後に初めて

 

人に流されて、従って、相手の言う事を聞いているだけではダメ

 

と気付く

 

相手に合わせたり、流されたり、従ったり、委ねたりした事でわかった事

①相手に合わせ、身を委ね、流され、従っていても別れるときは別れるし、人間関係がなくなる時はなくなるんだと思った

 

②私が、いいこでいなきゃと思っていたことは、他人にとって都合のいいこだったと自覚できるようになった

 

それからは、他人や身内に

 

嫌われてもいい、自分の意思をはっきり伝える、自分の意見を言う、持つ
それで離れる人は私にとってそれまでの人だし、その程度の関係性でしかない

 

と思うようにした

そうして私は自分の意志や意見を徹底して言う、はっきり言うようにした

 

 

自分の意見や意思を持ったことで変わった事

今まで鬱々と思っていた事、考えていた事がすっ、と消えていく感覚

 

それは私にとって今まで感じたことのない解放感だったし、自分を抑える必要、抑制する必要ってないんだ…と思ったらさらに生きやすく感じるようになった

 

しばらくその解放感や自分の中で、こんなにも自分の意志や考えがあるんだという事に驚いたりもした

 

けど今度はそれが原因で、人の気持ちも考えて意見や考えを言うようにした方がいいといわれる

自分の意見、意思をはっきり言おうと決めてから、他人にも身内にも思った事をがんがん言っていたら

 

人の気持ちを考えてから発言した方がいい
思った事を全て言う事が最善ではない、言わなくてもいい事もある

 

と言われる

 

私の思ってること、考えている事を言う事の何がダメなんだ、いけないんだ?と思ったが

 

不利な状況に陥る可能性もある

口は禍の元、とも言うように余計な一言を言ってしまったがためにその後の関係性にひびが入ったり、一生しこりを残しかねない。良好な関係性を築いているなら特に、自分の状況や立場が危うくなることがある

自分の思った事を考えなしに発言しているだけだと、足元をすくわれる可能性があるし、賢くないという事だ

 

という事で…

 

 

コミュ障が、0から始める社交的な対人関係生活

ここで言う社交的というのは、何も陽キャになれとか、無理して人とコミュニケーションを取れという意味でもないし、積極的に人と関われという事でももちろんない

苦手なものは、苦手、嫌なものは嫌。それでいい。無理して社交的になる必要性などは全くない

そういうのは人とコミュニケーション取るのが好きなヤツや上手いやつに任せておけばいいのだ

 

我々コミュ障にとっての社交的とは、どうやったら当たり障りなく人との関係性を穏便に平穏に無事に築いていけるかが問題なのである

 

発言する前に一呼吸おいてそれは言うべきことか、言った先にはどんな未来が待っているのか想像して発言するようにする

ここはまず戦況を有利に運ぶためには、思った事を思ったまま発言するのでなく、自分はAと思っても、一度Bの様子や意見を受け入れ、その状況や状態を想像してみる事。そのうえで、でもなあ…と思ったら、でも私は、と自分の意志や意見を伝える

 

 

自分の考えや意思を何故そう思ったのか、そう考えるのかと言う理由を添えて発言すると相手の理解を得やすい

単純に、いやだ、とかダメとか否定の言葉だけだと納得しない、されない。その前に、後でもいいけど何故そう思ったかの理由や意見、考えなど相手に伝える事で理解につながることがある

自分の意志や主張を曲げない、ブレないようにすれば意見や考えはまとまりやすい

柔軟性には多少かけるが、どーしても相手に自分の意志や考えを主張したいときに、何故そこまでそう思うのかという自分の中の確固たる信念や信条、ポリシーがあるのならそれを曲げない事で、相手に自分の熱意や感情を訴えかけやすい

頑固、融通が利かないと思われるのも不利な状況を作る

かと言って、あまりにも自分の確固たる意志や考え、ポリシーなんてものがあって、相手の意見や考えを呑み込めない、受け入れられないというのも、相手にとっては頑固だな、融通が利かないなと思われてしまう事もあるので注意

意見が対立してしまっても、お互いの中間地点を模索する

相手も絶対にAという主張があり譲れない、自分もBという主張があり譲れないという状況や場面の場合もあると思う。人生には妥協や譲歩も必要だと思う。けどお互い妥協、譲歩が出来ないという場合だね

 

そういう時は、相手に寄りそう気持ちを第一に考え、相手と徹底的に話し合い、相手の譲れないポイントを押さえながらそれならここまでは譲歩できる、妥協できるというラインを設定していく。そして徐々に話を詰めていき、それならば、とお互いが納得できる中間地点を見つけ出す。意見のすり合わせが鍵と言えよう

それがめんどくせって思う人や、一歩も譲れないと自分の主張を貫くなら、そういう人は自分一人の世界で生きていく道を歩むほうが相手にとっても心身ともに健全と思う

 

 

いかがだっただろうか?

あくまでもこれは私が長年経験してきたり、体験してきた出来事の中で感じたり学んだりしてきた事であって、万人に当てはまることではないと思う

けど、私のような思考や考えの人やコミュ障の人が少しでも私の経験談、体験談を経て学んだことを活かす場面や事があれば幸いである