お給料、今の生活と見合ってますか?需要と供給のバランスを知ろう
毎日毎日毎日汗水たらしながら働いて、いざ迎えた給料日
給料明細、振り込まれた金額を見て愕然としたことはないだろうか
え、俺(or私)労働とその対価が見合ってないんじゃねえか!?
なんて思う事あると思うんだ
特に、「ボーナス今年は出ません」なんて平然と言われた日にゃ、スタンガンで会社破壊してやりたくなる気持ちが一瞬芽生えることだってあろう…え?いつも?
例えば企業に雇われている会社員なら、転職する、いーや、もはや起業したるわい!などという道があると思うんだ
では現在フリー、所謂自営業の人、もしくはこれからそうなった場合、そうなりたい場合はどうやって需要と供給のバランスをみるんだろう…
ひと月の給料÷月にかかる金額=必要な最低金額
例えばフリーのライターやブロガーなら、ひと月過ごすための必要な金額÷月に描ける原稿(枚)数=原稿の最低価格
となる
ひと月20万必要で、月に描ける原稿枚数が例えば15枚だとしたら、13000円が1本の原稿料(が必要)であると言える
なのでそれ以下の仕事の場合は赤字だし、仮に赤字ならばその赤字をどうやって補填すればいいかとなったら作業効率を上げるか、本数こなすしかないということである
なのでフリーなど自分で仕事をしている人は原稿の価格を見直すことで、需要と供給のバランスを保てることが出来る
具体的には下に記載していく
とはいっても…
フリーでやってる人で、自分の価値を安く見積もってしまう人っていると思うんだよね
安請け合いと言うか、人がいいというか、お仕事頂けるだけで嬉しいとか、幸せとか
気持ちはわかるよ。例えばずっと憧れてた、夢だった職業に付けたとかいう場合はお仕事を頂けるだけでも嬉しい、安くても幸せなんて思ったりもするだろう
または、馴染みの人、よしみで安い労働で仕事を請け負っているなどなど、様々な理由があるとは思う
でもねえ、最初はそれで欲求が満たされるかもしれない。けどその仕事をして生きていく、つまり生業としていくのにお仕事頂けるだけで嬉しいとか、幸せだとか、よしみだからとか昔から馴染みがあるから…とか言ってられない時もあると思うんだ
だってその人が、会社が、あなたの人生、死ぬまで保障してくれるわけじゃないでしょ
わかっちゃいるけどこれしかないの…
その仕事しかやってこなかったって人は、特にそう思ってしまう事が多いよね
強迫観念と言うか。俺、私にはこの仕事しかない、この仕事しかできないって
でもそれは思い込みも思い込みだよ。自分で可能性をわざわざ狭めてしまっている
今やってる仕事以外でもやってみたら楽しい、思いのほか今の仕事より稼げる!なんてこともあると思うので、自分で自分の可能性を見限ってしまうのは得策ではないと思う
自分で自分の価値(価格)を決めよう
上記のような状態に陥りやすい人って、相手に評価されることに価値があると思っているんだと思うんだ
でもねえ、自分の価値は相手に評価してもらうものでなく、自分の価値は自分で決めるもの
でないと相手に利用されるだけ利用されて終わってしまう
だから俺、私にはこの仕事しかない、この仕事でやっていきたいのだという思い、気持ちがあるなら、自分で自分の価値=値段をしっかり決めよう
具体的には…
相手に買いたたかれないようにする方法
例えば〇〇円の金額、値段なら仕事をやりますとか受けるとか、それ以下なら仕事を受けないと自分で稼働する価格を決めること
相手に合わせ、その相手の基準に従うからいいように利用されるのであって、イニシアティブを取るようにしなければ生き残れない(金銭的に)
そうすると、この仕事やってる意味って何?となる
それが、企業や個人に買いたたかれないようにする手段
もしそれで離れていくようなら、自分にとってはその程度の相手でしかなかったという事であり、初めからそういう相手であり、のちに縁が切れるような関係があったと思おう
離れていった過去の相手にすがるより、次の縁、めぐり逢いの為に前進しよう。その方が精神衛生上的にもいい
何故ならば、相手が自分と関係性を築きたいと思っているならば、相手本位(この場合あなた自身の意)、有利、優先で考えてくれるから。勿論それに甘んじないで仕事はしっかりこなさなければならない
因みにこれはビジネスだけでなく、恋愛などの人間関係でも言える事である
石川啄木は言った
働けど働けどわが生活楽にならずじっと手を見る
読んで字のごとく、働いても生活が楽にならないというような意味の歌なんだが、需要と供給のバランスを考えるにはいい言葉だと思う
本気で転職がしたい、好きな事を仕事にしたい、趣味を本業にしたいなら